ケニアの伝統音楽には起源が幾つかあります。特にマー言語を使用するこの地域の伝統的な民族の多くは、その音楽や詠唱において共通のものを持っています。 マー語の歌は式典で使われる音楽として重要な役割を担っています。マサイ人の式典音楽の中で最も有名なのは、ライオンをしとめた後の勝利の歌として"Engilakinoto"という歌があります。
作りこまれた深いリズムの詠唱は、観客を魅惑するような踊りと主に表現されます。それは、戦士が彼らの力強さを空中に向かって飛ぶことによって表現する踊りです。他にも太鼓を使った音楽も発展し、伝統的な踊りの代表となっていきました。"ンゴマ(太鼓)"(Ngoma)という言葉は、伝統的音楽と踊りを意味するものとして今もなお使われています。
さまざまな太鼓がケニア国内で使われていました。西ケニアのルヒヤ人は、太鼓を指す地元の名前で"シクティ(Sikuti)"と呼ばれる非常に特徴のある踊りを発展させました。この踊りは、ペアになった男女の踊り子による非常にエネルギッシュな踊りであり、幾つかの太鼓や鈴、長い縦笛や口笛とともに演奏されます。
カンバ人やチュカ人は、すばらしい太鼓の叩き方を発展させました。それは長い太鼓を前に傾かせ、太ももの間に挟んで演奏するものです。カンバ人は、身体的能力の高さで知られ、その踊りはほとんど超人的な踊りとして有名です。
フルートや弦楽器も発達しましたが、中でも中世の叙事詩のような"ニャティティ(Nyatiti)"という楽器はとても発達しました。"ニャティティ"は、西ケニア中で広く演奏されています。その音色は優しく心地よく、たいてい1人の歌手のソロで歌われますが、時々軽打楽器や鈴と共に演奏されることもあります。
アユグ・オガダは、世界的に有名になったケニア出身の"ニャティティ"奏者です。彼の最初のアルバム「En Maana Kuoyo」は、"ニャティティ"のすばらしい音色を紹介しました。海岸部においては、スワヒリ文化の成長が、"ターラブ(Taarab)"と呼ばれる独特のスタイルの音楽を生み出しました。"ターラブ"は海岸部で現在も愛されている音楽となりました。
伝統的な"ターラブ"音楽は、ヴァイオリンや複数の歌手と共にオードのようなアラブ楽器や大勢のミュージシャンによって演奏されます。現代の"ターラブ"は、インドの映画音楽やバハングラからリズムやグルーブの影響を受けて進化し続けています。しかし、"ターラブ"の中心は今でも、韻を踏んだスワヒリ語の叙情詩です。ケニア人で有名な演奏家は、ジュマ・バロです。
内陸部において植民地時代には、"ベニ(Beni)"という強い社会風刺や政治批判をこめたフォークソングのグループの歌が流行しました。"ベニ"の歌は、大抵長く、語るように歌われました。
1960年代はケニアの独立とエレキギター、現代ケニアのポップミュージックが誕生した年です。ケニアのポップミュージックは、南アフリカのジャズやジンバブエの"ハイライフ(highlife)"と呼ばれるギター演奏の影響を受けました。またそれ以上に、コンゴのポップ・リズム、ルンバの影響を西側から受けました。
"ベンガ(Benga)"として広く知られている進化した混合音楽は、民族的なものを意識しています。"ベンガ"歌手は、民族語を使って歌い、熱狂的な民族的ファンを持っています。ルオ人のD.O. ミシアニ、のちにルヒヤ人の伝説的歌手となったダウディ・カバカやキクユ人歌手カマロやギターの弾き語りを模倣する歌手の多くが、今でも人気を博しています。
キリスト教の広がりは、一般的なゴスペル音楽、特に合唱を大いに発展させました。1970年代と1980年代、ナイロビはアフリカ人音楽家が集まる場所になりました。そして多くのザイール(現:コンゴ民主共和国)人のルンバのバンドはケニアを彼らの本拠地とし、滞在する場所やコンサートを開く場所として選びました。
彼らはケニアのポッ プミュージックに大きな影響を与えました。ケニアのポップミュージックの根幹のリズムやギターのメロディーは、コンゴのポップミュージックの影響を受けて います。今日のリンガラ音楽やコンゴ音楽は今でもケニア中で人気を博しています。スワヒリ文化やアジア文化の影響を受けた海岸部の影響も少なからず見られ ます。それは、モンバサ出身のゼム・マッシュルームのようなケニアのポップミュージックに代表されます。
1990年代や21世紀は西洋の影響を多く受けてきたと言えます。それは、レゲエやラップ、リズムやブルース、スイングといったもののケニア音楽への定着です。人気ミュージ シャンは、何か目新しいものや面白いものを生み出そうと、多くの外的影響を受けた伝統的な要素とあいまって、新しいケニア音楽を生み出しています。
ケニアの若手ミュージシャンであるジョセフ・オギディとジアド・アドニージャは、1999年に曲の演奏とレコーディングを始めました。彼らのグループ名は、"ギディ・ギディ・マジ・マジ(Gidi Gidi Maji Maji)"といって、スワヒリ語とシェン(英語とスワヒリ語を混ぜた造語)を混ぜ合わせたポップミュージックの楽曲「Ting Badi Malo」を爆発的にヒットさせました。大学に復学した後、彼らは、「Unbwogable」というダンスミュージックであり政治的なメッセージをこめた楽曲で帰ってきました。この曲は、2003年大統領総選挙の時期にあって反対勢力の応援歌として人気を博しました。
ケニアの良い話の一つに、西ケニア出身のマイティ・キング・コングというアフロ・レゲエ歌手がいます。シアヤ出身の彼は、幼い時にポリオを患い、片足を引きずって歩いていました。彼の父親が他界したとき、家族はキスムへ住居を移しましたが、彼は家を出ました。
彼は6年間、キスムでストリートチルドレンとして暮らし、大道芸をしてお金を稼ぎました。彼の歌や踊りは地元で有名になり、マイティ・キング・コングとして新しい名前を名乗りました。ナイトクラブでDJの仕事をするためにモンバサへ向かい、その後、ルオ語、スワヒリ語、英語を混ぜたレゲエ音楽のコンサートを開きました。
彼はすぐにクラブで人気を博し、ケニア中で瞬く間に売れ始めました。彼の最初のアルバムである「Ladies Choice」はケニア中でヒットし、よく売れました。「Cinderella」という次作を最近発表しましたが、それは彼のサクセスストーリーそのものをあらわしたタイトルとなりました。
また別の背景を持つエリック・ワイナイナは、若手の古典ミュージシャンです。彼の音楽スタイルは、伝統的なアフリカンギターと商業化された西洋音楽との融合です。彼の最初のアルバム「Sawa sawa」は、ダンスミュージックながら、政治的なメッセージをこめたシングル曲「Nchi ya Kitu Kidogo」の成功を通じて大ヒットしました。
ラップは、若いケニ ア人にとても流行しています。ケニア生まれのラップもいくつかあります。カラマシャカやネセサリー・ノイズのようなグループは、アメリカ出身のラッパーと 一線を画しており、歌詞はまさにケニアであり、現代ケニアの生活をよく歌い上げています。ケニア人ラッパーで有名な一人はポクシー・プレッサで、アルバム「Total Balla」 は大ヒットを記録しました。
レゲエもアフロ・レゲエとラップ音楽の融合で人気を博し始めました。ケニア人レゲエミュージシャンとして有名なのは、ソロのレゲエ歌手としてその名を知られているナジジです。女性ボーカリストとして、ラップグループであるネセサリー・ノイズのメンバーです。
オゴパDJs の名前で、ケニア人ヒップホップグループの集まりは、ケニアのチャートの上位に次から次へとヒット曲を送りました。2002年までに西洋の人気ミュージシャン達は、ネイムレスのような「Ninanoki」の大ヒット曲を持ち、「On Fire」などの売れているアルバムを持つケニア人ミュージシャン達に取って代わられました。
若いミュージシャンであるイッサの曲は、ケニア中のディスコやクラブで流行し、「Boomba Train」のヒットなどで知られています。しかしイッサは、2003年交通事故で亡くなりました。
オゴパ DJsグループは、多くのケニア人スターを輩出しました。そこには、ミスター・ガーズやヴィニー・バントンなどの、ナイロビ近郊のギゾライでの生活をヒップホップのメロディーに載せたシンガーソングライターに代表され、彼らの曲は国中を駆け巡りました。
レッドサンは、ヒップホップを海岸部のターラブ音楽に似せて奏でた「Julie and Raha」のようなヒットでケニアの女性ファン達を釘付けにしました。
現在の世界のフュージョン音楽の傾向は、西洋のスタイルが進化するにつれて、多くのケニア人ミュージシャンを新たな音楽の可能性へといざなっています。伝統と現代とアフリカと西洋を融合させたマーシー・マイラなどは今後一番流行しそうなミュージシャンです。
楽器やレコーディング設備の普及は、ケニアの音楽シーンを盛り上げ、多様化させています。ケニア音楽の良質なCDは、ナイロビのどこででも入手可能です。そして、世界中の音楽専門店でも見つけることができます。
ケニアの音楽が成長と進化を続け、ケニア人の若い才能あるミュージシャンの成功する機会が増えることにより、彼らの将来もすばらしいものになるでしょう。











