エリザベス女王のケニアでの即位

2012年2月6日に、エリザベス女王は即位60周年を迎えました。せっかくなので、どうしてエリザベス女王がケニアでプリンセスからエリザベス2世にケニアでなったのでしょう~。ケニアでエリザベス女王となったとき、まだ25歳の若きプリンセスでした。

プリンセスから女王へ

イギリス王室プリンセスのエリザベス王女は、1947年11月20日にウェストミンスター寺院で結婚式をあげた夫エディンバラ公フィリップ王子とケニアで短い休暇を楽しんでいました。結婚してから5年、ケニアを訪れていたのは1952年2月で、オーストラリアとニュージーランドへの公式訪問の途上のケニアで、公務から解放されたエリザベス王女と夫フィップ王子とのつかの間の休日でした。

エリザベス王女の父親の、イギリス国王ジョージ6世ですが元々病弱ということもありましたが、健康状態は1951年に入るとさらに悪化していたこともあって、エリザベス王女とフィリップ王子は、ジョージ6世の代役として、長期間にわたるイギリスから南半球への海外訪問の途中でした。

エリザベス王女と夫エディンバラ公フィリップ王子の夫妻を、長期に渡る公式訪問へと出発した1月31日に国王であるジョージ6世はロンドンの空港で見送りをしています。ジョージ6世は病弱のうえに癌の手術を何回か受けていたこともあって、健康状態はかなり悪化していました。当時56歳という年齢で決してそこまで高齢ではありませんでしたが、今までに癌の手術を何回か受けていたということもあり、サンドリンガム宮殿で静養中だったので公式海外訪問へは、エリザベス王女と夫エディンバラ公フリップ王子がジョージ6世の代役として訪れるために、公式訪問の途中の休暇でケニアで滞在していました。

ケニアで逝去を聞く

エリザベス王女とフィリップ王子が滞在していたのは、「ツリートップス」というアバーディアにあるホテルです。ホテルの前には池があって動物が池に水を飲みにやってきます。夜行性の動物を間近に見ることができることと、木の上にホテルがあることでもとても有名なホテルです。アバーディアにあるエリザベス王女とフィリップ王子が滞在したホテルは、ナイロビから165キロメートル(100マイル)離れた場所にあり、夫妻は野生動物を間近に見ることが出来るロッジでくつろいでいました。

そして2月5日のことです。エリザベス王女はホテルの前にある池に象が水を飲みにやってきたところを、カメラで写真を撮影してエディンバラ公フリップ王子と一緒に高い木の上に造れられている部屋のキャビンで落ち着いた夜を過ごし、その夜は野生動物に囲まれた一日を過ごしました。

翌日の2月6日エリザベス王女は、プリンセスからクィーンになります。父親のジョージ6世が睡眠中に冠状動脈血栓症で息を引き取ったからです。たまたまイギリスのハンター、ジミ・コーベットも撮りートップスへ滞在していましたが、彼は宿泊者ノートに後日次のように書き記しています。「世界史上で初めてのことだ。ある日若い娘は王女として木の上に登って、今までの中で最も胸躍る体験だったと語った日の翌日に、今度は女王となって下りてきた」と書いていますが、2月6日の朝にツリーハウスから降りたときには父親ジェームズ6世が亡くなっているとは知りませんでした。

エリザベス王女(この時点ですでに女王)とエディンバラ公フィリップ王子が滞在していた「ツリーハウス」はアバーディアで、大自然溢れる場所ということもあり、知らせを受けるにはナイロビから離れた場所にいたからです。そのためジョージ6世逝去したというニュースを、エリザベス王女一行に届くのに、しばらくの時間がかかりました。

ジョージ6世が逝去した知らせは、まず最初に高位の廷臣に伝えられます。そしてエリザベス王女の秘書マーティン・チャータリス氏に伝わります。そしてマーティン・チャータリス氏がフィリップ王子の側近に電話で知らせました。その時にエリザベス女王がどこにいたかというと、「ツリーハウス」から32キロメートル(20マイル)ほど離れたいるサガナ・ロッジという農場で、このサガナ・ロッジはケニア政府からエリザベス女王とエディンバラ公との結婚祝いとして贈られた農場でした。そしてジョージ6世逝去の知らせは、夫であるエディンバラ公フィリップ王子からエリザベス王女に伝えられました。エリザベス王女は、夫のフィリップ王子と散歩した後に父親を失った悲しみをこらえながら、残りの旅程をキャンセルする旨の謝罪の手紙を書き、ただちにイギリスへ帰国する手続きがとられました。

エリザベス王女は父親ジョージ6世逝去の知らせを聞いても、冷静に対応して取り乱すようなことはほとんどなかったと伝えられています。それどころか、王女から女王となったエリザベス女王が涙を流している姿を見た日とはひとりもいませんでした。エリザベス女王の秘書マーティン・チャータリス氏の本に『彼女は背筋を伸ばして座り、運命をしっかりと受けとめていた』と書かれています。

公式の場で涙を見せることがなかったのには、父親のジョージ6世から帝王学を学んでいたことが考えられます。エリザベス女王と父親のジョージ6世は親子の仲も大変よく、心から父親を愛していますが父から学んだ帝王学から、女王らしく振舞うということをまさに遠く離れたケニアで父の逝去の知らせを聞いても見事にやり遂げたといえるでしょう。王女の時代から、近くで父親から帝王学を学んでいたこともあって、政府関係の書類には目を通していて、非公式の形で国家元首の方々とも会って面識があり父親のイギリス国王としての姿を学んでいたからです。王女時代にすでに外国の要人と会見して、軍旗敬礼分列式のパレードの際には馬車の国王席に座るといったことなど、父親が静養中のエリザベス王女は すでに父親の国王としての責務を次々に引き受けていました。

イギリスでは・・

ジョージ6世がなくなった1952年の当時は、まだ王族の死を伝えるニュースは厳しく規制されていました。そしてジョージ6世が静養していたサンドリンガム宮殿では合言葉の“ハイドパーク・コーナー”がありました。この合言葉を使ってジョージ6世が逝去したことが伝えられました。サンドリンガムの秘書が、バッキンガム宮殿の秘書に電話をして“ハイドパーク・コーナー”ということで、バッキンガム宮殿の秘書は、国王が亡くなったことを知りこの言葉を聞いてジョージ6世の母メアリー皇太后に会って伝え、続いてチャーチル首相に会ってジョージ6世の死が伝えられました。イギリス国王が亡くなったことを公式発表する前に伝える伝える必要があったからこそ、合言葉が使われていました。

そしてケニアから戻ったエリザベス王女が、正式に女王と英連邦の首長そして「信仰の擁護者」を宣言したのは2月8日セント・ジェームス宮殿で行なわれた会議でのことです。エリザベス女王の即位宣言の場に立ち会ったのは、英連邦諸国の代表者に150人の上院議員そしてロンドン市当局の関係者や要人などが即位宣言に立ち会いました。

エリザベス2世は即位宣言で「親愛なる父が急逝したことにより、わたくしは君主としての義務と責任を負う使命を引き継ぎました。父が常に在位中に努めてきたように、わたくしは国民そして世界中のすべての人々のさらなる幸福と繁栄のために、専心していく決意をここで述べるにあたり、万感の思いをしています。」

エリザス女王が滞在したホテル

エリザベス女王が滞在したケニア中部のアバーディア国立公園の中にある「ツリートップ」は、うっそうとした森林の国立公園の中にあります。エリザベス王女の時に滞在した建物は、老朽化しているため使われていないため、新しい別の建物になっていますが、25歳で父親ジョージ6世逝去を聞いてイギリスへ戻られていますが、その時に「必ずまた来ます」というお言葉を残されて「ツリートップ」を後になさっていますが、そのお言葉通りに1983年に再び「ツリートップ」を再来訪されています。エリザベス女王は動物が大好きなので、きっと最初の旅でみた野生動物の姿に心が躍らされたと思います。

エリザベス女王が宿泊された部屋からは、池がすぐ下に見ることが出来ていけの周りには塩が撒かれているので、塩をなめるために動物がくることもあります。夜中に池の水を飲みに動物がやってくると、ベッドの頭の上のベルが鳴るのですぐに動物が来たことを知ることができます。動物は大きな音がすると近づいてこないので、大きな声で話すことはできないため、子供が宿泊することはできません。